郷土史 空撮写真で見る浦河の変遷(堺町ターゲット編)

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20150516公開、20161117変更

空から見る浦河の移り変わり ~空撮写真で見る郷土の変遷~


作成:どんぐりかいぎ実行委員会


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凡例 ★:クリックしてアニメーションを進める。 ◆:クリックして頁を進める。
どんぐりかいぎ実行委員会の北上といいます。
いつもは、国道で土木の工事をしています。
今日は、私が土木の仕事で使っている、
写真やソフトで みなさんの町「浦河」を 空から見て、
昔の浦河がどんなだったか、
そして、時間とともにどのように発展して
現在の形になったか 見てゆきましょう。◆

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昭和19年の空から見た浦河の写真です。
今から70年前のことです。 この頃は、アメリカと日本が戦争をしていました。★
黄色い線は鉄道の日高線です。 浦河駅は、ここです。 鉄道の通っているところは、
今と変わりません。
浦河まで鉄道が出来たのは昭和10年です。
今から、 ちなみに、現在の終点様似までは昭和12年に開通してます。
道路をみてみます。このころは、自動車はほとんど走ってなかったでしょうし舗装もされていません。
今ある、国道235号線とおおよそ同じ位置に、★
この紫の線の道路がありました。 苫小牧に行く道路★
様似へ行く道路★ ですね。 ◆(※画像はすぐ切り替えない)

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線路のすぐ横に海があるここはどこ? しかも、波の高い荒れた海ですね。★
わかるひとは? (挙手を求める) (※画像はすぐ切り替えない)◆

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★ 正解は、 この位置で、 浦河駅のホームからの写真でした。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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この写真に写っている、
昔、すぐ海だったのがわかる ものはどーれだ! (挙手を求める)
(※画像はすぐ切り替えない)◆

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こういう風に、昔は海から波がきたとき この少し反り返った壁が、★
こうやって、波を返していたんです。 ★
波返の壁が壊されないで残っているので、 浦河駅の近くに行ったときは、
みんなの目で確かめてみてください。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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先ほどの写真に戻って確認しましょう。 浦河駅の目の前が海岸だったと言うことは、★
今ある国道は無くて、浦河駅の山側に道路があって、 踏切で鉄道を横断していたことになります。★
その踏切は、今もありますね。 次の写真をみてください。★ ◆(※画像はすぐ切り替えない)

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★ ホテルうらかわイン前の踏切です。 国道235号は、左に曲がって踏切になってました。★
真っ直ぐ行くと海でした。 ★
○○前の踏切です。 国道235号は、左からきて踏切を渡って真っ直ぐ行ってました。★
ここらへんまで海でした (※画像はすぐ切り替えない)◆

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先ほどの写真に戻って確認しましょう。
この浦河駅前の点線の部分は、今は埋め立てられて陸地になり町役場や警察署がありますけど、
このころは海だったのは分かりました。
では、そのころ町役場はどこにあったのでしょうか?
このころの役場は、汐見ケ丘にありました。★
 (役場を標示すること、場所がいまいち?) 港の付近と浦河小学校がある常盤町は建物がたくさんあって発展してます。
浦河は、古くから日高の中心で役所などが集中していました。 さて、 みなさんの堺町は、どうだったでしょうか?★
★ このあたりですね これでは小さくてよくわからないでしょうから★
堺町のあたりを拡大してみます。 ◆(※画像はすぐ切り替えない)

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★黄色い線は鉄道です。 紫色は、国道235号ですが、まだこの頃は国道に認められていませんでした。
★交番のある交差点から向別への道路は、この頃からまっすぐ延びていました。 ★この線路沿いの道も確認出来ます。
★ここが向別川ですね
★中学校の前の踏切の位置は今と変わりません。(P11の写真を示す。)
★あとの平地部分は、四角く見えるので畑です。 なので、
★今、ツルハがあるところの十字路交差点はまだ無いです。 ★みんな畑です。
ここに注目してください。★ 小判形のものが見えます。中は畑のようで、並木が横切っているようです。
★さて、これは何でしょうか?
(1)学校のグラウンド
(2)陸上競技場のトラック
(3)競馬場
★正解は3番の競馬場でした。 建物があるのは、★
堺町西の海岸付近と ★向別川の河口付近だけです。
このあたりに、並んでいる細長い建物は、★ 兵隊さんがいた兵舎でした。
戦争が終わった後は、学校や住宅に改造されました。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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★ 空撮写真から話を外れて なぜ、堺町と呼ばれるようになったのか?知ってるひと? …
★畑も道も無い昔は、一面がアシ(ヨシとも呼ぶ)が生いしげっているだけの荒れたジメジメした土地でした。

明治34年頃、 秋田県から浦河に移住した 堺清兵衛というひととその子どもの堺忠助が、リーダになって
  水田や牧場を切り開いたことから その堺親子の名前から 堺町の名前がつけられたそうです。
明治34年とは、西暦で1901年なので 今から115年前になります。★ (※画像はすぐ切り替えない)◆

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写真は、もとの大きさに戻ります。
約10年たって、昭和28年になりました。
この写真だと、10年前とさほど変わっているように感じません。港の形もほぼ同じです。
★だだ、日赤病院や浦河高校のある東町がずいぶん発展したのがわかります。
この頃の人口は、。。。 では、堺町のあたりを拡大してみます。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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★国道235号は、ここです。
競馬場は、未だ有ります。 皆さん、わかりますね!
★競馬場の北側に同じような形の建物が等間隔で並んでいます。
これは、公営住宅のようです。
兵舎のあったあたりは、★
建物の形が変わっているので、 一度壊して、公営住宅に建て替えたようです。
他は、違いがあまりないようです。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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昭和53年になりました。 写真がカラーになって見やすいです。★
町役場のあるあたりの埋立てが始まってます。★
東町が山の奥の方に向かって、さらに発展したのがよくわかります。
★向別川 に注目してください!海にまっすぐ流れないでクネクネと曲がって流れています。
これを蛇行といいます。
この虫偏の漢字は訓読みで「へび」のことです。わかりやすい言葉ですね。
堺町のあたりは一気に発展しました。畑が無くなって建物がびっしりです。★
堺町のあたりを拡大してみます。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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★やっと、今の小学校の校舎が完成したようです。
堺町小学校がありました。
浦河第一中学校は、まだのようです。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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【フリップ】
ここはどこ? (挙手を求める)
★一番最初の 堺町小学校です。
昭和30年に小学校は、できました。
何年前ですか?

60年前ぐらいです。

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【フリップ】むかしは、こうやって、重たいローラをお父さんお母さんが引っ張って
★学校のグラウンドの整備をしてました。

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【フリップ】
ここはどこ? (挙手を求める)
★最初の校舎を建て替えた2代目の校舎です。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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【フリップ】
ここはどこ? (挙手を求める) ★
今の校舎です。
だから、2回立て替えているんですね。 (※画像はすぐ切り替えない)◆

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さらに30数年経ちました。 現在の浦河です。
★埋め立て地が出来てます。町役場や警察署もここに移りました。
★向別川は、こんなに曲がりくねって蛇行してましたけど★
土木工事で、まっすぐになったのがよくわかります。
黄色い鉄道の位置だけは、ずーっと変わってませんね!★
紫の線は国道ですが堺町では国道235号ですが大通3丁目で
呼び名が変わっていますが知ってますか?
★正解は236号でした。
堺町のあたりを拡大してみます。★ (※画像はすぐ切り替えない)◆

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★ 十字路交差点がはっきりわかり、商業施設がたくさん出来ました。
浦河第一中学もあります。 ★
◆(※画像はすぐ切り替えない)

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■■■■■小3向け■■■■■
写真は終わって 次に、普通の地図のお話をします。 おじさんたちの仕事は、 いつも、地図(工事の図面)を使います。 地図を使うと、その場所に実際に行かなくても、いろいろなことがわかるし、他の人に大切なことを伝えることも出来ます。 パッとみてみんな、 道路や鉄道はみんなわかると思います。(手で示す) 太平洋も向別川もわかるでしょう。(手で示す) たくさんある小さな四角い長方形は、建物を表しています。(手で示す) 建物であるのはわかりますが、それが人の住む住宅なのか、お店なのかは、この地図ではわかりません。 地図記号を見てみます。  (生徒がわかるか聞きながら進めてみます。 残り時間のこともあるので、その場で判断します。)
※撮影ポイント
★これは「小学校か中学校」 ★これはおまわりさんの居る、「交番か駐在所」 ★これはもちろん「郵便局」 ★これは「官公署」というものですけど、いろいろなお役所のことですけど、 堺町にあるのは、これは、労働基準監督署。これは、浦川道路事務所。交番の隣はハローワークです。 ★これは「発電所等」ですけど、ここにあるのは、変電所です。(写真見せる。) ★この地図の至る所にあるこれは「電波塔」です。(写真見せる。)山の頂上に多いです。 地図記号の続きで土地の使い方についてです。 ★これは「田んぼ」 ★これは「畑」です。牧草地もこの記号で表します。なので浦河は、この地図記号がとても多いはずです。 ★これは林の記号ですが木の種類によって使い分けます。「広葉樹林」は、このような木のこと(プリップで示す)です。 ★他の木の種類で、この地図には有りませんが、「針葉樹林」(プリップで示す)というのもありあます。 地形をみてみます。 所々に書いてある数字は、その場所の海からの高さです。堺町はだいたい10mより低いくらいです。 ★ここに100と書いてあるのがみえます。 そして、くねくねした線が等高線というもので、海からの同じ高さを結んだ線になります。 この地図だと10mごとの等高線が書かれています。 これをよくみると山や坂がどれだけ急かわかります。 学校の裏山は、緩い上り坂です。(手で示す) でも、いかんだいの裏の山は、(手で示す)たくさんの等高線が書かれていて、とても急な山になっていることがわかります。 こんな風に、実際に目で見なくても、地図から知ることがたくさんできます。 ◆(0:25)

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■■■■■小3向け■■■■■
今度は 浦河の中心部で 地図記号を見てみます。  (生徒がわかるか聞きながら進めてみます。 残り時間のこともあるので、その場で判断します。)
※撮影ポイント
★これは「神社」です。 ★これは「寺院」、お寺のこと。 ★これは「警察署」です。おまわりさんの居る、「交番か駐在所」はバッテンでしたが、まる囲うと警察署になります。 ★これは「消防署」をあらわします。消防署の支所、出張所もこの記号です。 ★これは堺町にもある「郵便局」 ★これは「町村役場」です。二重丸になると市役所になります。浦河は町なので一重〇です。 ★これは「裁判所」 ★これは「税務署」 そろばんのたまからデザインされてます。 こうしてみてみると、浦河はいろいろな役所が多いですね。 最後に、★港にあるこれは「灯台」です。 ◆(0:25)

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■■■■■小3向け■■■■■
堺町の昔の地図と今の地図を見比べてみましょう。
これは、昭和52年、約40年前の堺町の地図です。
スライドと同じですけど みんなの前に、国土地理院から買ってきた地図を開くので
みんなで集まって
じっくり見てみましょう。★×2
(地理院実物を開いて、こどもを集める)

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■■■■■小3向け■■■■■
(地理院実物を開いて、こどもを集める。つづき)
旧地図の横に新地図を開く!
これは、国土地理院という役所が発行しているものでは、一番新しい地図です。★×2
(こどもたちと違っている点をさがす。) ※撮影ポイント

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■■■■■小3向け■■■■■
おじさんたちが工事をするとき、
最初に必ずしている大切なことを教えます。

会社で 工事をする場所の地図をみて、どんな建物あるとか、山の地形はどうなっているとか予習をします。
いっしょに、航空写真も見てさらに予習します。
そして、その地図をもって、実際にその場所を自分で歩いて目で確認して復習するようにしてます。

みんなも、地図でしっかり予習して、自分たちの街の地図作りをしてください。

-END-

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《参考》使用した資料など
▼空撮写真
 出典:国土地理院 国土変遷アーカイブ
 出典:Google Map
▼使用したソフト
 Google Earth
 QGIS:地理情報の閲覧、編集、分析機能を有する無料のGISソフト
▼参考にしたWEBページ
 浦河町史(昭和46年4月10日発行)
▼参考にしたWEBページ

浦河町公式ホームページ
浦河町(北海道)- Wikipedia – 浦河郡
日高本線 – Wikipedia
国道235号 - Wikipedia
▼この資料他の公開先
URADOどんぐりかいぎ




作成に使用したリンク・データ


「浦河」の地名は、アイヌ語の「ウララベツ」(霧深き川の意味)から転じたもので、江戸時代に松前氏が蝦夷地統治のはじめ、元浦川の下流に会所を置いたのに由来している。
また、江戸時代に松前藩が幕府に献上した『元禄御国絵図』にも既に「浦川」として記されている。
歴史 江戸時代は、元浦川河口付近(現在の荻伏市街地)が浦川と呼ばれ、松前藩によって浦川場所(会所)が設けられており、主に漁業による交易が行われていた。
幕府直轄時代になって浦川場所がトマリ(現在の浦河市街)に移されたため、そのまま地名として呼ばれたとされている。その後、松前藩に復したが、安政2年(1855)に再び幕府直轄となった。
明治時代に入ると、開拓使の移民政策により、海陸資源の豊かな浦河に新天地を求めて内地人の移住が盛んとなり、開拓は苦難の連続であったが、明治20年代には軌道に乗りはじめた。
一方、浦河の港は昆布をはじめとした海産物などの物資の集積地として賑わいをみせ、明治5年に開拓使によって浦河支庁が置かれてからは、郵便局、裁判所、警察署などの諸官庁や銀行などが相次いで設置され、日高地方の行政・経済・文化の中心地として発展してきた。
そして、明治35年、2級町村制施行により、浦河町、西舎村、杵臼村、荻伏村の浦河町外3か村組合となり、浦河に組合役場を設けたが、明治43年に荻伏村が分離独立して浦河町外2か村組合となり、大正4年には、1級町村制施行により、浦河町、西舎村、杵臼村の3町村を合併して浦河町となった。
昭和に入っても、浦河港の完成や鉄道の開通に伴い、日高における浦河の役割は重要性を増し、水道の設置や浦河実践女学校(浦河高校の前身)の設立、日赤浦河療院(現在の浦河赤十字病院)の開院など生活環境も向上した。

戦後の復興も農林水産業を中心に順調に進み、昭和31年には、荻伏村との合併により現在の浦河町となり、今日に至る。
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